仙台実家

新幹線も福島まで復旧して仕事も落ちついたので仙台の実家の様子を見に帰省した。
長町の再開発地区には仮設住宅が建設されていた。
長町は予備校時代に住んでいた。再開発ですっかり変わったけど、
まさかこうなるとはな…


車窓を見上げると明らかに民間機ではないヘリが飛んでいた。
現地に向かうんだろうな…とか考えていた矢先に余震が来た。
ここも津波の被害地からは少し離れているけどほぼ現地なんだと実感。


仙台駅もかなりやられたらしく、全面的に復旧中。
ぺディスアンデッキも一部通行止めで迂回する必要があった。


実家も相当やられてた。
家の壁中に亀裂が入っており、市の危険度調査もご覧の通り。

いやぁ、どーすっぺなぁ。


3月の本震も当然凄かったのだが、実家付近は数日前の余震もかなり酷かったらしく、
それで更にやられたらしい。4月の余震直後は下記のような状況だったらしい。


家の前の公園では桜だけは去年と何も変わらずに咲いていた。


滞在中はひたすら飯当番だった。
「適当に買い物したのが冷蔵庫にあるから後は頼む」だそうだ。
これまでアルファ米やレトルトばかりだったらしく、
野菜炒めやおひたしなど、野菜中心にしたら喜ばれた。
(俺が行く直前までガスが使えなかったため大した料理も作れなかったらしい)
飯当番以外はパソコンのメンテナンスした位だったが、
後は何に手を付けたらいいか分からん!
親も色々ありすぎて数日前まで「何を食べても旨いんだか不味いんだかも分からん」
というくらい余裕がなかったらしい。

実家には3日ほど滞在し、アパートがやられた兄貴も含め久々に家族が揃ったが、
物凄く疲れた3日間だった。

それでも家族が無事だったから良かったとは思う。