石巻を訪ねる

母方のばあさんの実家が石巻なので、石巻には親戚が多くいる。
今回の震災でとりあえず皆奇跡的に無事だったのは幸いではある。
中でも母親と仲がいい母親のいとこのおばさんがいて、
俺も子供の頃からよくお世話になっていた。
まあとにかくパワフルなおばさんで、
ピアノの先生やってる傍ら自前のハーレーでアメリカ横断してたりする。
(津波でハーレーは水没したが、なんとかして直した模様)
ええ、勿論母親と同じくバツイチです。


震災以来気になっていたので仙台の帰省の折に母親と共に見舞いに行ってきた。
おばさんの家は海岸から離れていたので1m位水没しただけで済んだらしく、
行った時にはおおかた片付いていたが、
コレクションのジャズCDやレコードは大分やられたそうだった。
海岸沿いの別の親戚の家は1階部分が完全水没とかそういうレベル。
鉄筋だったので家ごと流されずに済んだのだろう。


「折角来たんだら被災地を案内してやるよ」
とおばさんの提案と案内で市街地をぐるっと回ってみた。


「そこの防風林には死体が沢山ひっかかっていたそうだ」
「この辺り一帯は宅地だったが全部流されたか火事で燃えた」
「ピアノの生徒は小学生が11人いたけど9人が亡くなった」
などと淡々と説明を受けるが言葉が出ない。
おばさん自身始めは衝撃だったそうだが、今は慣れたそうだ。
そうでなければここにはいられないよなぁ。


被災地は想像以上に被害が甚大で、
説明が無ければそこに宅地があったと分からないほど被害がでかいし、
海沿いは文字通りガレキの山と化していた。アキラの世界だよまじで。

それに、テレビじゃ分からないけど海沿いは臭いがきつかった上、
ハエが大発生していたのでできるだけ車から出ないようにした。


市街地にある日和山の神社からの景色。

ここの境内への階段も閉鎖になっていたが、
津波の時に階段を登りながら逃げたが間に合わなくて波にのまれてしまった人もいたそうだ。
修学旅行などで「昔ここで沢山の人が犠牲になりました」というような説明を受けても実感が沸かなかったけれど、
今回はリアルすぎるというか、ここでも被害の甚大さが想像を超えている。

「あそこの小さい山の上に昔ばあさんの家の畑があって、そこから花火をみたものだ」
「中州にあった映画館に子供のころに連れて行ってもらったが今は見る影もない」
などと母親とおばさんは話をしている。


いつかここから街をながめて
『震災の傷跡が今ではすっかりなくなった』
言える日が来る事を願うばかりだ。また来よう。